密教と曼荼羅 マンダラ

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この記事のタイトル「密教と曼荼羅 マンダラ」について正木 晃 著「楽しくわかる マンダラ世界」という書籍がとても分かりやすく説明してくれています。

以下に抜粋して引用させていただきます。

曼荼羅 マンダラはもともとは瞑想のツールとして発明された。

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マンダラは密教僧が儀礼や瞑想(観相)修行をするために
発明された、宗教的な道具もしくは装置です。

密教僧は、マンダラを利用して、密教の考える悟りを体験しようと試みます。
その悟りとは、「宇宙(世界)と自己が本質的には同じものだ」という認識を
体得することです。

密教では、宇宙(世界)は法身と呼ばれる究極のホトケ、すなわち大日如来そのものにほかならない、とみなします。ですから、「宇宙(世界)と自己が本質的には同じものだ」という認識と変わらないことになります。

こういう使われ方をするマンダラは、ホトケの眼から見た宇宙(世界)の縮図ともいえますし、
また人間の心の構造図ともいえます。

曼荼羅 マンダラの発祥地はインド

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マンダラが発明された場所は古代インドでした。
もう少し詳しくいうと、マンダラの基本形は六~七世紀にインドで開発されました。
その後、十世紀までに急速に発展して、いま見られるような複雑きわまりない形態に発展したようです。

今日、マンダラが見られる地域は、日本密教とチベット密教、それにネパール仏教が活動している地域だけです。ネパール仏教も中身は「密教」ですから、マンダラは「密教」の特産品といっていいかもしれません。

国や地域でいえば、日本、中国領チベット、モンゴル、インド領チベット、ブータン、ネパールあたりです。

ちなみに、日本に残るタイプのマンダラは六~七世紀に、チベットやネパールに残るタイプのマンダラは八~十世紀に、それぞれインドで成立したものの子孫と考えられています。

 

曼荼羅 マンダラは密教の特産品。そして密教とは?

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ここで「密教」という言葉がでてきたので、説明しておきましょう。
マンダラは「密教」が生み出したものですから、マンダラを正しく理解するためには、その前に「密教」を正しく理解しておく必要があります。

「密教」という言葉そのものは「秘密の教え」という意味で、特別に選ばれた者にしか明らかにされない、究極の教えという意図を含んでいます。
反対に、密教ではない仏教のことを、密教を信仰する人々は「顕教」と呼んで区別してきました。

「顕教」というのは、ふつうは「顕かな教え」という意味に解されていますが、「初心者向きの、表層的で、薄っぺらな教え」という意味も込められているようです。

そんなふうに、自分こそ最高の教えと自負してきた密教は、学問的には、この分野の権威として有名な宮坂有勝先生や松長有慶先生、立川武蔵先生によれば、次のように定義されます。かなり難しくなりますが、これも勉強ですから、そのまま引用してみます。

「密教とは、インド大乗仏教の最終段階において展開された神秘主義的・象徴主義的・儀礼主義的な傾向の強い仏教である。

 

密教は大乗仏教

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このままではいくらなんでも難しすぎるので、解説をくわえます。まず、密教は仏教です。仏教の一部といってもかまいません。そして、「大乗仏教」のなかに含まれます。「大乗仏教」というのは、紀元一世紀前後からインドで広まった仏教のことです。仏教がブッダによって始められたのが紀元前五世紀ですから、四百年くらいあとの話です。

大乗仏教は、それまでの仏教が自分自身の救済ばかり説いてきたのに対し、「いやそれはブッダの真意ではない」と主張しました。「自利利他」あるいは「上求菩提下化衆生」ととなえて、他人を救ってこそ自分も救われると考えたのです。

なお「大乗(マハーヤーナ)」というのは「(悟りへの)大きな乗り物」という意味です。それまでの仏教は自分のことしか考えないから、「小乗(ヒーナヤーナ)」、つまり「(悟りへの)ちっぼけな乗り物」といって、非難したのです。もっとも、小乗と非難されたほうは、自分たちこそがブッダの正統な後継者だと自任していましたから、大乗仏教なんてインチキだと反論しました。

ちなみに、日本仏教はすべて大乗仏教です。お隣の朝鮮半島や中国の仏教も大乗仏教です。それに対して、スリランカやタイやカンボジアの仏教は小乗仏教です。

もっとも小乗仏教という言い方は、大乗仏教が一方的に非難した表現なので、いまではあまり使われません。「上座仏教」とか「テーラヴァーダ」と呼ぶのが、常識になっています。

ようするに、大乗仏教と上座仏教ではどこがどう違うのでしょうか。
もちろん、さきほど指摘したとおり、大乗仏教は、他人を救ってこそ自分も救われると主張し、上座仏教は、いやそんなことはない、やはり自分自身の修行が大事と主張しています。これは、いわば哲学的な見解の違いです。そのほかに、もっとはっきり目につく違いはあるのでしょうか?むろん、あります。

たとえば、上座仏教の場合は、原則としてブッダ、すなわち釈迦如来しか崇めません。しかし、大乗仏教の場合は、釈迦如来だけでなく、大日如来とか阿弥陀如来とか薬師如来とか、いろいろな如来がいて、しかも観音菩薩とか文殊菩薩とか普賢菩薩とかいう、いろんな菩薩もいて、さらに不動明王とか毘沙門天とかいう、不思議な存在までいて、みんな崇めます。この点がいちばん違うところです。

マンダラに、たくさんの仏菩薩や神々が描かれるのも、大乗仏教ならではのことです。

 

密教は大乗仏教のラストランナー

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こういうと大乗仏教のなかで、もっとも最後に登場したのが密教です。
いいかえると、密教は大乗仏教のラストランナーなのです。
時期的には、密教は五世紀頃から少しずつ姿をあらわしはじめ、七世紀から十世紀頃にいちばん発展し、インドの仏教が滅亡する十三世紀の初め頃まで活動しました。その後は活動の拠点をチベットや日本に移し、いまに至るまで生き続けています。

密教が登場してきた背景は複雑です。最大の要因は、仏教の衰退でした。五世紀頃になると、ライバル関係にあったヒンドゥー教の勢力が大きくなり、仏教は衰えはじめました。原因はいろいろありますが、仏教の有力なパトロンだった大商人たちの活動が、西ローマ帝国の滅亡などによって衰え、その結果として、仏教は経済的な基盤を失ったことが影響したようです。

しかも、もともと仏教は、都市に居住する知識階級を中心とするタイプの宗教でしたから、商業活動が衰えて、都市がかつてのような繁栄を失うと、衰えざるをえませんでした。その点、ヒンドゥー教は活動の中心が農村だったので、有利でした。

そんなこんなで仏教が衰退していくと、仏教の内部から、これではダメだ!という声があがりはじめました。なんとか仏教を再興しなければ、という動向です。

このとき大乗仏教のなかでは、おおむね二つの方策が考えられたようです。
一つは、成功しつつあるヒンドゥー教の要素を取り込んで、大乗仏教の人気の回復をはかろうという方策。
もう一つは、ヒンドゥー教がまだ手をつけていない領域に進出してみようという方策です。

こういう努力の結果、登場してきた大乗仏教のラストランナーといえるのです。

 

ヒンドゥー教系の人気のある神様を大乗仏教にリクルートする!

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ヒンドゥー教の要素を取り込む方策は、具体的にいうと、ヒンドゥー教系の人気者を大乗仏教にリクルートすることでした。

日本仏教の中に、毘沙門天とか吉祥天とか「天」という字がつく神々がいますが、「天」というのは、古代インドの公式言語だったサンスクリットで「神」を意味する「デーヴァ(男神)」あるいは「デーヴィー(女神)」にゆらいしていて、本来はヒンドゥー教の神々だったのです。

十一面千手観音のように、たくさんの頭と手をもつ観音は、どうやらヒンドゥー教の主神として有名なシヴァ神が原型のようです。不動明王なども、もともとはシヴァ神にゆらいするという説があります。

 

曼荼羅 マンダラは大乗仏教をリバイバルするために発明された可能性もある。

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ヒンドゥー教がまだ手を付けてない領域に進出してみようという方策にも、さまざまなものが試みられました。極端なところでは、性を修行に導入しようとことさえありました。それまで仏教が否定し続けてきた人間の欲望を、それ自体は清浄で、けっして汚れてはいないと肯定したうえで、悟りを求めるエネルギーに変換させようとしたのです。あとでお話しますが、チベット密教には、ヤブユムといって、男女のホトケが絡み合う図像やマンダラがありますが、それはいま述べた理論にもとづいているのです。

いま私たちが論じているマンダラも、ヒンドゥー教がまだ手をつけていない領域でした。
なぜなら、視覚表現の領域では、ヒンドゥー教よりも大乗仏教のほうが先行する傾向があったらしいのです。
この意味で、マンダラは大乗仏教を復興するために開発された方策の一つだったとみなすことも可能です。

 

こうして密教は誕生した!

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こうして、密教は誕生しました。そして、大乗仏教は密教化することで、インドではかなり延命しましたし、
チベットや日本まで密教が伝えられた事実は、この試みが大きな成果を上げた証拠といっていいでしょう。

もっとも、インドの仏教界がすべて密教化したわけではありませんでした。
同じ僧院のなかに、上座仏教もあれば、ふつうの大乗仏教もあり、密教もあるというぐあいだったようです。
全部を同じ色で塗りつぶしてしまわないところが、インドの懐の深さというか、おもしろさというか、すばらしい点なのです。

 

密教は悟ったあと、どうするのかも探求していた!

ではここで、それまでの大乗仏教と密教の、宗教哲学的な立場の違いについて考えてみましょう。
この違いを知っておくのと知らないのとでは、密教に対する理解に大きな差が生じますので、やや話が難しくなることを許して頂きたいとおもいます。

この点については、立川武蔵先生がとても興味深い指摘をされていますので、まず、それをご紹介します。

立川先生にいわせると、密教以前の大乗仏教は、どうしたら悟れるか、それを探求してきました。
とにかく、悟りを得ることはひじょうに困難とみなされていましたから、悟りを得るための方法に関心が集中したのも無理からぬ事態でした。悟ったら、そのあと、どうするかというようなことは問題外だったのです。

密教も、むろん悟りを得るための方法を探求してきました。しかし、同時に、悟ったら、そのあと、どうするのかも、密教は探求したのです。というより、悟り以前よりも、悟り以降に、密教の関心の中心はあったと立川先生は指摘されています。

 

密教は悟ったあと、他者を救済するための道を作り出した。

たしかに、自分がどう悟るかにばかり関心が集中している限り、大乗仏教がいくら自利利他をとなえても、所詮は中途半端で、観念論の域を出ません。いいかえると、自分が悟ったという自覚がなければ、人は自信をもって他者の救済にあたれないということです。

この状況に着目した密教は、極論すれば、自分が悟ったことにして、他者の救済に邁進するという方法を選んだのです。あるいは、悟りを求めて、道を歩みはじめた瞬間に、悟りは、完璧ではないはないに決まっていますが、それでもなにがしかは得られている、だから自信をもって、他者の救済に邁進しなさい、という考え方を密教を生み出したのです。

 

「道果説」とは修行の途上においてもすでに悟りはなにがしか得られているという意味

これを専門的な用語では、「道果説」といいます。「道」は修行の途上を、「果」は悟りを、それぞれあらわしていて、ようするに、修行の途上にすでに悟りは得られているという意味です。

たとえば、日本仏教の歴史を見ても、実際に社会的な事業に邁進したのは、ほとんど密教系の僧侶たちでした。
真言密教の開祖、空海が大規模な治水事業や庶民のための学校経営につとめた事実はご存知のとおりです。

また、鎌倉時代において、真言律宗の叡尊や忍性たちが病人などの救済に多大な功績をあげた事実もあります。
こういうことが可能だった原因も、一つには密教に独特の、悟り以降をどうするかという発想が寄与しているのです。

 

出典:正木 晃 著「楽しくわかるマンダラ世界―塗り絵付き」(春秋社)