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OSHOが弟子であるサニヤシンに向けた大切なメッセージ【その2】

OSHOが弟子であるサニヤシンに向けた大切なメッセージ【その2】

Perfect Master vol 1 Talks on Sufi Storiesから

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Just think about one thing again and again, remind yourself again and again:
”Am I the right disciple ? Am I ready to learn ?
Have I dropped my knowledge? Have I come with an open heart ?
Am I trying to become more conscious of what I am doing? Is my prayer conscious?

ただ一つのことを何度も何度も考えなさい。その事を繰り返し思い出しなさい。

「わたしは弟子として相応しいだろうか? わたしは学ぶ準備が出来ているだろうか?
わたしは自分が知っていると思っていることを落として、開かれたハートでやってきただろうか?
私は自分がしていることに対してもっと意識的であろうとしているだろうか?
わたしの祈りは意識的だろうか?」

When I sit by the side of the Master, am I sitting there consciously, alert, aware?
When I listen to the Master, am I really listening ? or just hearing ?”

「わたしがマスターの側に座るとき、わたしはそこに意識的で、注意深く、気づいて座っているだろうか?
わたしがマスターが話しているのを聞いているとき、わたしは本当に聞いて理解しているだろうか?それともただ聞いているだけだろうか?」

Hearing is one thing:
listening is very different.
Hearing is simple; anybody hears.

ただ聞いているという事と
本当に聴いて理解している事とは全く違うことである。

ただ聞くという事はとても単純で、誰でも聞くことができる。

Whosoever has ears can hear.
Listening is rare. When your ear and your heart are together,
then listening happens.When you hear, your mind is full of thoughts; the turmoil continues, the traffic continues.
All kinds of noises, thoughts, prejudices… through that crowd, yes, you hear, but you can’t listen.

耳があるものであれば、誰でも聞くことができる。
しかし本当に聴いて理解することは稀である。あなたの耳とハートが一緒にあるとき、本当に聴くということが起こる。

あなたがただ聞いているだけの時は、あなたのマインドは雑念でいっぱいである。騒がしいのは続いていて、頭の中のやりとりは続いている。あらゆる類の騒音、雑念、偏見などなど。それらの群れの中で、ただ聞いていることはできるかもしれないが、ちゃんと聞いて理解することは出来ない。

For listening, silence is needed. There should be no clouds inside you, no thought stirring. Just a PURE silence, then listening happens.The disciple has to ask again and again,
”Am I really a disciple?
Am I yet a disciple?”
And if you remain alert about that, you will find many Masters in life.
But if you are not aware of it, you may come to a Buddha and go empty-handed.

本当に聴くためには、静寂が必要である。
あなたの中で全く雲がない状態、雑念が一切動き出さない状態が必要である。
純然たる静寂な状態であれば、本当に聴いて理解するということが起こる。
弟子は自分自身に何度も問わなければならない。
「わたしは本当に弟子であることが出来ているだろうか?」
「わたしは未だ弟子ではないのではないだろうか?」

そしてもしあなたがそれについて注意深くあり続けたのなら、
あなたは人生で沢山のマスターを見つけることであろう。
しかしもしあなたがそれに対して気づいていないのだれば、
あなたはブッダの所にやってくるかもしれないが、手ぶらで帰っていくことになるかもしれない。

The vibes of a Buddha are very delicate. They cannot penetrate your mountains of unconsciousness,
If you are conscious, then only can those delicate vibes penetrate you.
They are subtle, they are not violent, they are not aggressive.
They will not even knock on your doors,they will not force entry into you.
The vibes of a Buddha cannot rape. They come very silently.

ブッダのバイブレーションはとても繊細である。
あなたの無意識の山々に入り込んでいくことは出来ない。
あなたが意識的であるときにだけ、それらの繊細な波動はあなたに浸透することができる。

If you are utterly quiet, only then do you become aware of their presence.
They come without any noise…rose petals falling on the ground.
Yes, just like that.

あなたがすっかり静かになった時にだけ、あなたは彼らのプレゼンスに気がつくようになる。
それらは全く音も立てずにやってくる。薔薇の花びらが地面に落ちるが如く。
本当にそんな風にやってくる。

But it is very easy to decide that the Master is wrong.
In fact, that helps you to remain the way you are: what can you do ? –
the Master is wrong. And then you go on moving from one Master to another and hoping….

しかしマスターが悪いと決めつけることはとても簡単である。
実際にそうすることであなたは今のままの自分であり続ける。
マスターが悪いとしたら、あなたに何が出来ようか?
そのようにしてあなたは一人のマスターから別のマスターへと 動き続ける。

But you remain the same !
If you miss one Master, you will miss all of them.
In fact, the more you go from one Master to another Master,
you are simply becoming more and more accustomed to missing,
you are becoming habituated to it. You are learning how to miss.
If you miss one, then to miss the other will be easier, and then to miss the third will be even easier.

しかしあなたは全く同じである。
もしあなたがひとりのマスターを見逃したとしたら、あなたは他のすべてのマスターたちは見逃すだろう。
実際あなたがひとりのマスターから他のマスターへと動けば動くほど、あなたはもっともっとマスターを
見逃すことに慣れてきて、あなたは見逃し方を学習することになる。
もし最初にひとりのマスターを見逃したら、次の別のマスターを見逃すことはもっと容易になってしまい、
3人目はさらに見逃すことが容易になる。

And if you have been moving to many Masters, slowly slowly, you become so efficient in missing that it is almost certain that you will never find a Master anywhere.That’s why people can’t find – not that Masters don’t exist. Life is so rich!

そして沢山のマスター達の所へとあなたが動き続けると、次第にあなたは見逃すことがとても上手くなってしまい
マスターをどこにも見つけることが出来なくなってしまう。これが人々が何故マスターを見つけることが出来ないかの理由だ。マスター達が存在しないということではない。

Existence always gives you ALL possibilities to grow. Masters are available, and always. In no time, in no country, is it that they are not available. In any climate. However dark is the time on the earth, the Masters are always available. In fact, the darker it is, the more possibility there is of Masters being available.

生というのはとても豊かで、存在はいつも貴方が成長する可能性を与える。
マスター達はいつも存在する。どの時代でも、どの国でも彼らに出逢うことが出来る。。
どんな状況でも、地球がどんなに闇に覆われている時でもマスター達はいつでも存在している。
実際闇が深ければ、深いほどマスター達にあなたが出逢うことが出来る可能性は高い。

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